マレーシア覚え書き

マレーシアのこと覚えてること

ハノイ

ベトナム人の友達が出来て、風俗に詳しいやつだったのでベトナムの風俗に連れて行ってもらおうとそいつを水先案内人にしてハノイに行った。彼の本名はドィックだかドゥアックだかだったがベトナム語というのは日本人にはとても発音が難しいので僕たちは彼のことをドクと呼んでいた。

ハノイにはすごいビーチがあると彼が言うので話を聞くと、そこのビーチには風俗小屋が山のように並んでおり、出てくる女の子もみんなピチピチの若い子ばかりで、おまけに日本円にして一人500円ほどで抱けるのだと言う。じゃあ是非行こうという話になり彼にそこまでの旅程を任せた。

 

僕たちはまずハノイの市内にある大きなバスステーションに連れていかれた。なにやら僕たちが泊まった市内のホテルからはずいぶん離れたところにあるのでこれから長距離のバスに乗るという。僕ともうひとりの同行人(日本人)は快諾した。

バスを待ってる間にドクの友達のベトナム人が3人ほどやってきて合流した。彼らもそのビーチの話は聞いたことはあるが、行ったことはない、ぜひこの機会に一緒に連れて行ってほしいとのことだった。僕らはもちろんそれを了承したが、ドクとは違い彼らは英語を話せないのでコミュニケーションに幾分か苦労したのを覚えている。それでもニコニコ笑いながら身振り手振りで何かを伝えようとすると向こうもニコニコ笑いながらうんうんと頷いてくれていた。やがてオンボロの長距離バスがやってきて、6人の大所帯になった僕らはそれに乗り込んだ。

2、3時間走ったあと僕らは別のバスステーションに降ろされた。ここで別のバスに乗るのだという。長い旅路だったが道中の僕らはそんなことは全く苦ではなかった。純粋に冒険としても楽しかったし、これから海とベトナムの若い女どもが僕を待ってるのだと思うと何時間でもバスに乗ってやろうという気持ちにさえなった。

乗り換えたバスから先は感動するようなアジア的な田舎が広がっていた。空を遮る高い建物は何一つ見当たらず、あちこちに田んぼや畑が広がり、子供が道端で遊び回り女はアオザイを着て葉笠をかぶり男はタバコをふかしながら地面に座り込んで仲間と話し込んでいた。舗装などもちろんされていないオフロードを僕らを乗せたバスがガタガタ震えながら走る。

 

目的の場所に着いたのは夕方くらいだった。田舎だが、かろうじて家やスーパーやホテルが建ち並び多少の文明を感じさせる場所だった。どの建物も潮にやられてサビだらけになっていた。降ろされた場所から少し歩くと確かに海があった。海はあったがいわゆる僕らが想像するビーチではなかった。テトラポットに防波堤。それに座り込み話し合うカップルや家族の姿もあった。これはビーチじゃないよとドクに言うとわかってるけど他に英語で何ていうかわからなかったんだ、それに泳げるような場所じゃないって言ったろと返ってきた。それよりこっちへ来てみろよと言われるので防波堤に近づいてみると、それに向かい合うように海の家のような小屋がずらりと建ち並んでいた。どうやらこれが風俗嬢たちが身を潜めている場所らしい。今はまだ日が落ちてないから開いてないんだ、とドクが言った。

日が落ちてしまうまでに宿を見つけようと言うことになった、当たり前だが出来れば海に近いほうがいい。僕らは何軒か当たってみて、ちょうど良い宿屋を見つけることが出来た。ベトナム人は首都に住む人達でも英語を話せる人がなかなかいない、こんな田舎に来たらたぶん誰も英語なんて話せないだろう。僕たちは6人で大きな部屋を二部屋借りて、少ない荷物をおろし一休みしたら、近所の飯屋で海鮮料理を食べた。素朴な味付けだったが、確かに美味しかった。日も暮れて来たのでそろそろ見に行ってみようと、僕ら全員胸を高鳴らせながら例の小屋の場所へと向かった。

 

例の小屋たちが並ぶ場所に近づいてみると、確かに先までは誰もいなかった小屋に明かりが灯っており、軒先にお目付け役だかなんだかの老女がハンモックに横になりゆらゆら揺れていた。そんな小屋が僕らの視界の端から端に並んでいた。僕は駆け出して一刻もはやく彼女らに交渉して嬢を見せてもらいたかった。きっとシルクのようにきめ細やかな、あるいは真珠のように白い肌を持ちベトナム料理のように素朴で純粋な若い美女たちが僕を待っているはずだ――。はやる僕と同行人を前にしてドクはお前たちはちょっと待っててほしいと言った。まずはベトナム人の俺たちが声をかけたほうが良いと思う、こんなところめったに外国人なんてこないので、どう対処されるかわからない。確かに一理あったが、言葉を発しないから付いていかせてくれと言ってドクについていった。幸い僕も同行人も、中国人と言われれば中国人のような、ベトナム人と言われればベトナム人のようなアジア顔だった。

 

ドクとその友達と老女が何やら話し合ったあと、老女が一度奥へ引っ込んだ。しばらくして老女が戻ってきて、そしてその後ろにはパジャマのような服を着た、若く、肌の白い、顔の整った、気立ての良さそうな、ベトナム美女が佇んでいた!僕は震えんばかりの感動を覚えた。ドクの友達のベトナム人たちもニコニコ笑顔だった。今この娘を抱きたい奴は抱いてもいいけど、お前ら二人はまず俺と一緒についてきてほしいと言った。どうやら老女の話によると最近中国人の集団がここへやってきて、彼らが乱暴するので女の子を何人か傷つけられたということだった。だからまず端から端までドクと一緒に回って、小屋のお目付け役たちに僕らはベトナム人が連れてきた安全なやつだという話を通しておくということだった。僕らはそれを了承した、そもそも最初から小屋は全部見て回ってやろうという魂胆だった。

今はどうかわからないが当時はベトナムの人たちは日本人に好感を持ってくれているようで、ドクは彼らに僕らのことを話し、日本人だと言うとみんな笑顔になってくれた。中にはお菓子やジュースをくれたり、ハンモックで休んでいけと身振りで伝えてくれる人もいた。たぶん風俗小屋は20軒ほどあったと思う。だいたい見て回ったので、じゃあ俺ももう好みの女を探しに行くから好きに行動していいぞとドクから許しがでた、ただ出来るだけ二人で動いて、トラブルがあったら片方は俺を探して呼んでくれとのことだった。

 

そしてそれから僕らは狂ったようなテンションで再び小屋を巡回した。出てくる女の子はどれも若く綺麗な娘ばかりだった。バカみたいに安いので、僕らは少しでも「この娘、ありだな」と思ったらその子を抱いた。英語を話せる子がいなかったので会話を楽しむということは出来なかったが、どの娘もセックスのときには一生懸命に尽くしてくれ、セックスが終わったあとも横になって頭を撫でてやると恋人のように抱きしめて優しいキスをしてくれた。掘っ立て小屋の中の、薄暗いまるでベッドが置かれただけの洞窟のような部屋で僕らは若い女の体を貪りつくした。

何人か抱いたあとで他の連中とも合流し、一旦腹ごしらえをした。近くで小さい料理屋が開いていたので、僕は少し海の味がする粥を食べた。たしかその時すでに2時を回っていたと思う。

それからまた僕らは防波堤に行き、再び片っ端から小屋を訪ね、気に入った女の子が出てきたらすぐにセックスした。僕は結局6人ほど抱いた。今思えばよく体力と精力が保てたなと思う。さすがに疲れてきた僕と同行人はお目付け役に甘んじてハンモックでしばらく休ませてもらうと、そこにドクとその仲間たちがやってきた。俺たちはそろそろ宿に引き上げる、というので僕らも撤退した。それが確か4時くらいだったと思う。

 

宿ではドクが気を使ってくれたのか、向こうは4人いるのも関わらず一部屋を僕と同行人だけで使ってくれても構わないと言ってきた。旅とセックスの疲れはあったが、冒険の高揚感で僕はしばらく寝れずにベランダでタバコをふかしていた。隣の部屋のベランダからドクが顔を出してきた。おい、同行人は寝たのか、と訪ねてきたので多分と答えた。お前、大麻やるか?友達が持ってきたんだとドクは言った。僕は一瞬面食らい、いや、やらないよと答えた。お前、ベトナムでいつも大麻吸ってるのか?と逆に僕はドクに聞いた。いつもってわけじゃないけど、今日みたいな特別な日には吸うんだ、俺たち多分朝まで起きてるから吸いたくなったらこっちの部屋へ来いよというとドクは部屋へ引っ込んだ。僕はなんだか今日の出来事すべてが夢のような気持ちになってきてベッドへ倒れ込んだ、しばらくすると眠気がやってきて、ほんのすこしだけ寝た。

 

8時か9時かそれくらいにドクが部屋にやってきた。お前らまだ元気あるだろうとドクは言った。どうやらあそこの小屋は家族連れが海を見にくる昼くらいまでは開いてるという話だった。僕は気力を振り絞ってドクについていった。朝に見る小屋の並びは夜のそれとは違って健康そうに見えた。言われなければただの小さな宿屋か飯屋に見えるだろう。僕らは再び高揚感に包まれ、小屋を巡り、ベトナム人の娘たちとセックスを繰り返した。

やがて昼を過ぎたくらいに僕らは帰りの支度を始め、降りたところと同じ場所でバスを待った。僕はバスの中でひたすらに眠りこけ、帰りはあっという間だった。

そして僕らはハノイに戻ると、ドクの友人たちに別れを告げた。僕と同行人はまるでシャングリラのような場所だったなと話し合った。どちらかがベトナム語を話せるようになったらまた行こうとも話した。長い間その場所の名前を忘れないように記憶していたが、今は忘れてしまった。